樹木信仰が世界的に一般的ではない事について。

まず、SixTONES関連では全くありません。

私が仕事上触れた疑問について、自分なりに仮説を立ててみたので、記録として残したいがためのブログです。SixTONES関連を期待した人は今すぐブラウザバックしてください!

 

主題:大昔から自然が信仰されてきた地球上のあらゆる文化の中で、植物そのものへの信仰がほとんど無いのはなぜか。

 

序文:我々の暮らす地球上ではさまざまな信仰により、多くの神話・民話が生まれてきた。そのなかで、太陽・山・川・海・動物への信仰は各地で存在する。では、各地域にある"植物"への信仰が有名ではないのはなぜか。

また、日光や水と同じく酸素も人間が生きる上で必要な要素であるため、前者二つを信仰し、植物を信仰しない理由はどこにあるのかを考える。

 

まず、世界中で多く見られる「太陽」への信仰と「植物」を比較してみる。

太陽が神として信仰されている日本神話を例にあげると、天照大神を神として人々が祀る必要性を感じた瞬間は「天の岩戸」神話、つまり「日食」にあると考える。

その理由として、日光がないことは、日中に行う人間の営みが出来なくなることに直結するからである。人間の営みで光源は必要不可欠ゆえに、日食を恐れ光源を得るために祀ることとなったと考えられる。

 

では、植物が人間の営みの上で必要不可欠になることはあるのか。もちろん、植物から光合成により酸素が生まれていることがわかっている現代では必要だと分かる。しかし、神話や民話を生み出している時代の人間にはそのような知識はない。では、それ以外で何か信仰にたりうる要素が植物にはあるか。

このようなこともある。植物を食料として獲得するため、その植物がなくなる場合である。しかし、そのきっかけは植物自体に問題があるわけではなく、川の氾濫や津波地震など水・大地といった別の自然が原因となっていると目で見て分かる。

そのため、植物には起因しないことで、信仰の対象として祀られることはない。

 

結論:植物が消滅したとしても、植物そのものに起因したものではないため、過去の人間にとって信仰の対象とはならなかったと考える。